長野風月堂

風月堂について

風月堂屋号のいわれ

百数十年前、大阪屋と称え菓子店を営み、諸大名のご用を勤めてまいりました。

寛政年代の初め頃、松平楽翁公から、ご常用菓子の調製を命じられ、店主は、いつも質素と衛生を重んぜられる公のお気持ちを守り、とりわけ丁寧に、健康に良いように終始変わりなく調製してまいりました。
このことが公のお耳に入り、その誠実さを愛され、格別のお考えから商号にとて『凮月堂清白』の五字を選んで下さいました。
このうち凮月の二字は公の雅号であったそうです。

水野越中守忠邦公がこれを聞かれ、店主にとって最大の名誉であるから、自分にも錦上に花を添えようと、当時第一の書家、市河米庵先生を邸に招かれ、大きな白布に隷書で、凮月堂と書かせ、これを店頭に掲げよと賜りました。

それ以来代々絶えることなく今日まで営業を続け、当長野店も明治19年に誕生し、みなさまのごひいきに至っている次第でございます。